🎀おんだの人(シリーズ第4回)

こんにちは、「おんだチャンネル」です。令和4年3月から、毎月1回程度、「恩田地域づくり協議会」で地域貢献にたずさわる人を、リレー形式で紹介しています。第4回は、3つの顔を持つ男、藤重幸雄さんです。

あんた、最近なにしちょるそ?/藤重幸雄(恩田町5丁目)

妻は、喜寿の祝いをし54回目の結婚祝いをした直後に逝って、この6月が7回忌だ。亡くなる直前に倅家族が家を継ぐと言うので、私は25㎡のトイレ炊事場付きの隠居部屋を造り、そこで自炊生活をしている。私は85歳を超えたが、同級生からは「ゆきちゃん」と呼ばれている。

現役「ボランテァ活動もどき」三つ

1.「産業観光バスツァーエスコーター」歴15年目

担当は、「セメントの道」の”団体受注型”と”全国からの一般募集型”のうち、概ね後者。年10回の案内計画・バス内説明は約3時間におよぶ。大好きな郷土を、30数年間勤務の都合で県外から見ていて、20年前に帰ってみると、「山口県は住み良いところ」と満足している人が意外と多い一方、高齢化率・人口減少率・若年層率・公共施設の耐震化率等の将来基盤は、全国ワーストに近い。特に宇部市の観光客数は13市中ダントツの13位。「これはドゲンかせにゃいけん」となるわね。 観光客が少ないことは交流人口が少ないこと。その原因を考えてみると、「郷土の先人たちが血と汗を流した歴史的犠牲や貢献を意外と自らが良く知っていない」のと、いくら謙虚で出しゃばらない県民性であっても「よき効果的な発信が出来ていない」のが一因と思われる。兎も角「郷土が大好き」が原点に必要と思っている。縁あって、発足当初から産業観光計画に関与させていただいているが、昨年はコロナのせいで案内実績は3回にとどまった。「プレゼン力を高める私の武器」は限りはないが、「参加者の知的好奇心を揺さぶる『雑学の広さ』」と「私そのものの雰囲気とエネルギー」である。「雑学」は知らなくても生きられるが知れば知ったで楽しいものよね。

2.「奇術クラブ銀友会」会長歴14年目

15年前の入会当時は「神社の祭り・地域の敬老会等の催し・病院慰問」が主体で、頻度は50~70か所/年だったが、最近は「デイケァ」が多くなった。ここ3年は、コロナのせいで「主催者の躊躇、我々派遣者側の選択」があり、年間10回が実績だ。引き受ける時に「ご予算は?」と言ったことはないのがボランティアたる所以だ。91歳でハトを使う老美女がいる。今後何100回ボランティアができるとは限らない、ハトには毎日エサと運動がいることを考えると「本人の達成感の喜び」を増やして差し上げたい。ハトは病院では使えないので少ない機会をアッシー君になっても提供したいと、「派遣のトリァージ」をも考慮して運営している。くたばるまで役員変更がないそうだ。ボランティアと格好をつけているがボケ防止が大きな目的の一つ。

3.「見守り隊」見守ってやりたい歴19年目(途中抜けもあるが概ね毎日、恩田5丁目交差点)

20年前宇部に帰ると老人会に誘われた。恩田5丁目交差点で月1回の立哨を頼まれやってみると、結構危険が見える。旗だけでの立哨は出しゃばりのようだったが、転勤族の孫たちも何処かで誰かにお世話になっていることを考えると、できる日には毎日やることを決めた。「おはよう、行ってらっしゃい」と言うと、「行ってきます」の他に「ありがとうございます」と返すT君もおり、「子は親の鏡」とも思うが、それにしてもその日がさわやかになる。立哨時の朝ジャンケンは、立哨しだして間もなく農協の方からくるH君が決まって7時46分横断歩道を渡る直前に「おいちゃんジャンケンポイ」と勝っても負けても「ありがとう」と走っていったのが最初で、それを私が元気のない子に真似し出したように思う。

昭和20年代、母子家庭はお国の扶養家族、戦災で家も農作物も焼かれた頃は、世間様・ご近所様の支えがなかったら生きられなかった。ご恩返しのためにと今迄必ずしも聖人君子で生きたわけでもないが、「人生の貸借対照表」は必ず貸方を多くした積りである。ない褌を締めて育ててくれた母親の遺言通り、今後もそうしたい。

【シリーズ 過去の記事】

第1回(令和4年3月1日投稿)は、恩田地域づくり協議会会長 真宅宣昭さん

第2回(令和4年4月1日投稿)は、ふれあい運動推進員会 鶴井豊子さん

特別編第1回(令和4年4月6日投稿)は、作家 平山悟さん

第3回(令和4年5月1日投稿)は、見守り隊 鶴井満州子さん

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