📒11/26 ときわ学スタート!(社会教育推進委員会)

未来に繋げる

目的:令和4年度の社会教育推進委員会は、常盤中学校区で子どもたちと一緒に未来つくりに繋がることを始めようと考えています。江戸時代の大プロジェクトを知ることで、恩恵を受けた常盤中学校区に住む私たちが、300年後の未来も輝いているふるさとのビジョンをイメージできればと思います。

講演:常盤湖の歴史について

講師:上田 純二氏(宇部市則貞在住)ふるさとコンパニオンの会

日時:令和4年11月26日(土)10:00~

場所:恩田ふれあいセンター2階会議室

参加者:42名

↓社会教育推進委員会 鈴川 優見会長より挨拶

↓上田 純二氏による講演

↓社会教育推進委員会 石川 悦子 副会長より上田さんへ謝辞

恩田の氏神様である河内神社(清水川交差点)について、皆さんご存じでしょうか?鳥居を見ると、江戸時代末期にできたものと思われます。現在は、木造から建て替えられた氏神様。昔は、海がこの辺りまで入り込んでいたらしいです。恩田という地名から、米作りが盛んだったと思われます。大正時代の地図を見ると、この辺りの平地はすべて田ばかり。現在のように、コンクリート・ショベルカーなどない時代に、水をどうやって確保したのでしょうか。

どうやら「恩田」という地名から分かるように、何もなかった所(内海、荒地)に水田(平地)を作るため、常盤湖(世界灌漑遺産)と用水路を整備したそうです。福原家も、年貢を納めるために米作りに力を入れる必要があったようです。土手を作るために利用したのは岩、砕いて運搬してまた成型したのではないかと、古地図を片手に語られました(史実が残っていないため、地形から推測されています)。水を供給して排水できなければ米はできないので、用水路の流れる斜面はゆるやかな勾配で全て無駄のないように高さと容量を設計されており、先人の知恵と工夫が沢山つまったお話でした。

先祖が米を作るために作った灌漑施設、時代は変わり工業用水としても利用され、今は宅地が増え米を作っている田が減り、用水路が分かりにくくなっていますが、昔から「恩田」では豊作を願って河内神社を祀っています。今は、恩田27-1区、27-2区、27-3区、27-4区、27-5区の自治会や、恩田クラブ(老人クラブ)が河内神社の定期的な清掃や管理を分担して行っています。そして今、上田さんは山口大学地域創生学科とも協働して、歴史を踏まえたまちづくりを進めるために学生さんに地域の歴史を伝えています。恩田小学校でも地域の用水路についての調べ学習を行っています。何もない荒地から知恵をしぼって米が取れるようになったこと、できない事を解決する知恵や技術、宇部の街がどのようにでき上がったか原点を知ることによって、将来の街づくりに活かし発展していくことを願います。

社会教育推進委員会では、それぞれが行っている学習を地域と学校で共同で進めていける機会、または学習の成果を発表する機会になればと企画をしている段階です。それぞれが行っている行事に相互に参加する(そのためにはお互いの事業計画を練る段階からすり合わせが必要)など課題が残りました。

当日、社会教育課からは中山優子氏に来訪いただきました。

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